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二 光と影

Auteur: 海野雫
last update Date de publication: 2026-01-27 19:00:03

 午後二時。人事部の会議室。

 涼介の前には、人事部長と、直属の上司である村田部長が座っていた。

「黒川くん、単刀直入に言う」

 人事部長が口を開いた。

「君を課長代理に昇進させることが決まった」

 涼介は一瞬、言葉を失った。

 課長代理。入社六年目での昇進は、この会社では異例の早さだ。通常は就くまでに十年以上かかる役職だ。

「シンガポールでの成果は、本社でも高く評価されている。現地支社からの報告書を見たところ、君のリーダーシップと交渉力には目を見張るものがあった」

「……ありがとうございます」

 涼介は頭を下げた。内心では驚きが渦巻いていたが、表情には出さないよう努めた。

「これからは、チームを率いる立場になる。責任は重くなるが、君なら大丈夫だろう」

 村田部長が付け加えた。

「期待しているぞ、黒川」

 会議室を出た涼介の足取りは、少し宙に浮いたようだった。

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  • 壁越しの溺愛ボイス   四 永遠の誓い

     挙式の場所は、カナダのバンクーバーに決まった。 奏が調べたところ、バンクーバーは同性カップルに寛容な街で、美しい自然に囲まれた結婚式場もいくつもあるという。「ここ、どうかな」 奏がパソコンの画面を見せてきた。そこには、海に面したチャペルの写真が映っていた。白い壁と大きな窓があり、背後には山々が連なっている。「綺麗だな」「でしょ? 天気がいい日は、窓から夕日が見えるんだって」 涼介は画面を見つめながら、現実感のなさに戸惑っていた。 結婚式。 数か月前までは、考えたこともなかった。いや、考えることを避けていた。ゲイである自分には、そんな未来はないと思い込んでいた。 だが今は違う。 奏と出会い、愛し合い、共に暮らすようになった。だからこそ、その先に結婚という選択肢がある。「涼介、どうしたの? ぼーっとして」「いや……実感がなくてな」「何が?」「俺が結婚するってことが」 奏がくすりと笑った。「僕もだよ。でも、嬉しい」「ああ。俺も」 涼介は奏の手を取った。「お前と結婚できて、幸せだ」「まだしてないよ。これからでしょ」「そうだな。これから、だ」 二人は顔を見合わせて笑った。 挙式の日程は、三か月後に決まった。 涼介は会社に休暇を申請した。一週間の休みを取るのは、入社以来初めてのことだった。「カナダ旅行か。いいな」 山下が羨ましそうに言った。「ああ。リフレッシュしてくる」「奏さんと二人で?」「ああ」 山下がにやりと笑った。「いいねえ、新婚旅行みたいだな」 涼介は一瞬、言葉に詰まった。 旅行の目的は山下にも伝えていなかった。いずれ話すつもりだが、今はまだ二人だけの秘密にしておきたかった。

  • 壁越しの溺愛ボイス   三 涙の真実

     翌朝、涼介は激しい頭痛とともに目を覚ました。 隣を見ると、奏はいなかった。リビングから、何かを作っている音が聞こえる。 時計を見ると、すでに九時を過ぎていた。「しまった……」 涼介は飛び起きた。今日は平日だ。遅刻だ。 リビングに出ると、奏がキッチンに立っていた。「起きた?」 奏の声は、いつもより冷たかった。「すまない、寝坊した。会社に……」「会社には連絡しておいた。体調不良で休むって」「え?」「昨日、すごく酔って帰ってきたから。朝になっても起きなかったし、無理だと思って」 涼介は記憶を辿った。昨夜のことは、断片的にしか覚えていない。居酒屋で飲んだこと、そこからどうやって帰ってきたのかは曖昧だ。「……悪かった」「座って。おかゆ、作ったから」 奏がテーブルにおかゆを置いた。涼介は黙って席に着いた。 奏は向かいに座らなかった。キッチンに戻り、洗い物を始めた。背中を向けたまま、動きを止めない。 沈黙が、重くのしかかる。「奏」「何?」 奏は振り返らない。「……俺、話さなきゃいけないことがある」 奏の手が止まった。 しばらくの沈黙の後、奏がゆっくりと振り返った。「やっと話す気になったんだ」 その声には、怒りと悲しみが混じっていた。「昨日、涼介が帰ってきたとき、すごく酔ってた。『もう駄目だ』とか『俺のせいで』とか、うわごとみたいに言ってた」 涼介は目を閉じた。 酔った勢いで、口が滑ったのだろう。隠していたことが、無意識に漏れ出していた。「……すまない」「謝らなくていい。それより、何があったか教えて」 奏がようやく涼介の前に座った。その目は、涼介を真

  • 壁越しの溺愛ボイス   二 光と影

     午後二時。人事部の会議室。 涼介の前には、人事部長と、直属の上司である村田部長が座っていた。「黒川くん、単刀直入に言う」 人事部長が口を開いた。「君を課長代理に昇進させることが決まった」 涼介は一瞬、言葉を失った。 課長代理。入社六年目での昇進は、この会社では異例の早さだ。通常は就くまでに十年以上かかる役職だ。「シンガポールでの成果は、本社でも高く評価されている。現地支社からの報告書を見たところ、君のリーダーシップと交渉力には目を見張るものがあった」「……ありがとうございます」 涼介は頭を下げた。内心では驚きが渦巻いていたが、表情には出さないよう努めた。「これからは、チームを率いる立場になる。責任は重くなるが、君なら大丈夫だろう」 村田部長が付け加えた。「期待しているぞ、黒川」 会議室を出た涼介の足取りは、少し宙に浮いたようだった。 昇進。課長代理。 かつての自分なら、考えられなかったことだ。成果を出しても「黒川は冷静だから」で片付けられていた。手柄は同僚に奪われ、「便利な人材」として使われるだけだった。 だが今は違う。 自分の実力が正当に評価された。自分の存在が認められた。 席に戻ると、山下が意味ありげな目で涼介を見た。「で、どうだった?」「……昇進だ。課長代理」「マジか! やるじゃん、黒川!」 山下が涼介の背中を叩いた。「シンガポールでの成果、ちゃんと評価されたんだな。良かったじゃん」「……ああ」「今夜、祝杯あげないとな。奏さんも誘って、三人で飲もうぜ」「いや、今日は奏と二人で……」「おっと、そうだな。邪魔しちゃ悪いか。じゃあ、週末にでも」 山下がにやにやと笑う。涼介は少し照れながら、「考えておく」とだけ

  • 壁越しの溺愛ボイス   番外編 永遠の声

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  • 壁越しの溺愛ボイス   エピローグ 新しい声で

     シンガポールの朝は、東京よりも早く明ける。 涼介が目を覚ましたのは午前六時だった。カーテンの隙間から差し込む光が、薄暗い部屋をぼんやりと照らしている。熱帯特有の湿気が肌にまとわりつき、エアコンの低い駆動音だけが静かに響いていた。 涼介はベッドの上で体を起こし、枕元に置いたスマートフォンに手を伸ばした。画面をタップすると、新着メッセージの通知が表示される。 送信者は、奏だった。 涼介の胸が、自然と温かくなった。毎朝、必ず届くメッセージ。それが、涼介の一日の始まりになっていた。 音声ファイルが添付されている。涼介はイヤホンを耳に差し込み、再生ボタンを押した。『おはよう、涼介。今日も一日、頑張ってね』 奏の声が、涼介の鼓膜を震わせた。低く甘く、まるで耳の奥を直接撫でられているような声だった。その声を聴いた瞬間、涼介の全身が反応する。心臓が跳ね、呼吸が深くなり、体の奥から温もりが広がっていく。 十一か月経っても、奏の声への感度は変わらない。むしろ、離れている分だけ、余計に敏感になっている気がした。『こっちは少しずつ涼しくなってきたよ。朝晩は肌寒いくらい。涼介のいるシンガポールは、まだ暑いんだよね。体調、崩さないでね』 奏の声には、涼介を案じる優しさが滲んでいた。その声を聴くだけで、涼介は奏のそばにいるような気持ちになれる。『今日、新しい仕事の打ち合わせがあるんだ。ちゃんと報告するね。涼介も、今日の会議、頑張って。僕は涼介のこと、誰よりも信じてるから』 メッセージは、短い沈黙の後に続いた。奏の息遣いが、イヤホン越しに聞こえた。その音だけで、涼介の胸が締め付けられた。『愛してる、涼介。早く会いたい……君の声が聴きたい』 その言葉で、音声は終わった。 涼介はイヤホンを外し、天井を見上げた。奏の声が、まだ耳の奥に残っている。その余韻を噛みしめながら、涼介は小さく笑った。 あと少しだ。あと少しで、奏に会える。 シンガポールに来て、十一か月が経っていた。 去年の十月、

  • 壁越しの溺愛ボイス   5-5 別れの夜

     赴任前日の夜。 涼介と奏は、涼介の部屋で最後の夜を過ごしていた。 明日の朝、涼介は成田空港へ向かい、そこからシンガポールへ飛ぶ。一年間、日本には戻れない。 その事実が、二人の間に重く横たわっていた。部屋の空気まで、いつもより重く感じられる。 夕食を終えた後、二人はソファに並んで座っていた。テレビはついていたが、二人とも画面を見ていなかった。テレビの音だけが、部屋に響いている。「涼介」「ん?」「明日から、一年間……」「ああ」「長いね」「……長いな」 沈黙が流れた。 言葉にしてしまうと、現実がいっそう重くのしかかってくる。一年間という時間の重さが、二人の肩にのしかかっていた。三百六十五日。その間、二人は離れ離れになる。「涼介、約束して」 奏が涼介の手を取った。奏の手が、少しだけ震えている。「必ず、帰ってきて」「約束する。必ず帰ってくる」「毎日、連絡して」「するよ。毎日、奏の声を聴きたい」「僕も。涼介の声、毎日聴きたい」 奏の目に、涙が滲んでいた。涼介も、目頭が熱くなるのを感じた。泣くまいと思っていたのに、涙が勝手にこぼれそうになる。「奏、泣くなよ」「泣いてないよ」「嘘つけ」「涼介こそ、泣きそうな顔してる」「泣いてない」 二人は顔を見合わせて、苦笑した。どちらも、泣きそうな顔をしていた。「涼介」「ん?」「最後の夜……一緒にいてくれる?」 奏の声が、甘く震えた。その声には、懇願が込められていた。甘い囁きが涼介の鼓膜を震わせる。その声を聴くだけで、涼介の全身が反応してしまう。「当たり前だ。今夜は、どこにも行かない」 涼介は奏を引き寄せた。奏の体が、涼介の腕の中に収まる。互いの体温が、

  • 壁越しの溺愛ボイス   3-6 執着と不安

     奏が涼介の唇を塞いだ。 いつもより激しいキスだった。舌と舌が絡み合い、息が混じり合う。涼介は奏の体を強く抱きしめた。離したくなかった。誰にも渡したくなかった。藤井の顔が、まだ頭の中にちらついている。奏と五年間一緒にいた男。涼介よりずっと長く、ずっと深く、奏を知っている男。 その男に、奏を渡してたまるか。 涼介は自分でも驚いていた。こんなにも激しい感情を抱くなんて、今まで経験したことがなかった。職場では常に冷静で、感情を表に出さないのが涼介のスタイルだった。けれど奏の前では、その仮面が剥がれ落ちていく。嫉妬という感情が、涼介の内側を焼き尽く

  • 壁越しの溺愛ボイス   3-5 藤井との対峙

     涼介と奏が体を重ねてから、二週間が経った。お互いを自然と「さん」を付けずに呼び合うようになっていた。 その間、二人は毎日のように会っていた。仕事から帰ると、どちらかの部屋で夕食を食べ、一緒に過ごした。週末は一緒に出かけ、夜は同じベッドで眠った。 七月の終わり、東京は連日の猛暑に見舞われていた。朝から気温が三十度を超え、昼間には三十五度に達することも珍しくない。アスファルトが熱を帯び、街全体が蒸し風呂のようになっていた。 涼介の日常は、完全に変わっていた。 今まで、涼介の人生は仕事だけだった。朝起きて、会社に行き、遅くまで働

  • 壁越しの溺愛ボイス   3-4 初めての夜

     二人はキスを交わしながら、いつの間にかベッドルームへと移動していた。 奏の部屋のベッド。涼介が三日間、看病のために傍らで過ごした場所だ。あの時は奏の回復だけを願っていた。けれど今は、全く違う理由で、同じ場所にいる。 間接照明のオレンジ色の光が、部屋を柔らかく包んでいる。カーテンの隙間から、夜の闇が覗いている。壁際に置かれた配信ブースが、薄暗がりの中でシルエットを作っていた。あのブースから、毎晩あの声が発せられていた。涼介を虜にした、あの甘い囁きだ。壁一枚を隔てて、涼介はずっとあの声を聴いていた。 今、その声の主が、涼介の腕の中にいる。壁越

  • 壁越しの溺愛ボイス   3-2 ただそばにいること

     奏の熱が完全に下がったのは、三日後のことだった。 その間、涼介は毎日奏の部屋に通った。仕事から帰ると真っ先に四〇三号室のドアを叩き、奏の様子を確認した。おかゆを作り、薬を飲ませ、汗を拭いた。看病という名目で、涼介は奏のそばにいられたのだ。 奏は日に日に回復していった。二日目には自分で起き上がれるようになり、三日目には簡単な食事を自分で作れるまでになった。顔色も良くなり、声にも艶が戻ってきた。 あの甘い声が、少しずつ本来の響きを取り戻していく。涼介はその変化を、毎日そばで見守っていた。奏が咳をするたびに背中をさすり、水を飲ませ、額に手を当て

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